BIWA-YOU

『琵琶謡』とは、徒然を謡うこと。写真と、日々思うことを。      そして、できるならば詩や小説も書き綴りたいと思いつつ・・・。

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赤瑪瑙の指輪―目覚めの物語―

赤瑪瑙の指輪
―目覚めの物語―                     春日原玖宮


彼女は我に返った。彼女の側に立っていた少女に見覚えがあったのだ。
彼女は声なき声を少女にかけたが、少女はじっと彼女に視線を送るだけで、その表情が変わることはなかった。

渋谷の交差点は信号が変わる度に人が四方から流れ、四方の歩道へと人が流れていく。通り沿いのビルの一角、彼女は飾られていた。
黒海のほとりからやってきた赤い瑪瑙の金の指輪。
他の金製品と比べれば、目立たない小さな指輪だが、一連の発掘品として飾られていた。彼女は人々の言葉の端から、そこが自分の知っている場所ではないと知っていた。眠っていた故郷の土に戻りたいと思ったけれど、結局はどこにいても何も変わらないことに気が付いて、時折箱から出されては見知らぬ土地の空を眺めていた。

「綺麗な色よね」
ああ、あの娘だ――彼女はいつの日か見つけた少女に気が付いた。
そして、そうだわ、人間は大きくなっていつか消えてしまうのだったわ――と少女をしげしげと眺めながらひとりごちた。
「いつも観に来るの?」と、少年の声。
「時々飾られているのよ。ここの所蔵品だから無料だし」
細い指が彼女の上に置かれている。彼女はその指を物欲しそうに眺めた。こんなところにいないであの娘の指を飾りたいわ――。
細い指の次に黒髪に黒い目の少年の顔が彼女に迫り、彼女をじっと見つけた。あら、あなた――。彼女はまた声をかけたけれど返事はなかった。少年は彼女を見ながら首をかしげるように自分の顎を撫ぜたが、何かに気が付いて足早に去って行った。

彼女は空を見た。
ああ、ここは夏が暑いのね――
彼女は箱に仕舞われ、眠りについた。
いつものように沈黙するのではなく、彼女は夢を見続けた。
遠い昔の夢を。

彼女が削り出されて金の枠に取り付けられた時、初めは大きなブローチだった。マントを止めるために、屈強な男たちの肩を飾っていた。そうして彼女は何人もの人生を見てきたけれど、すべて霞の向こうのような存在だった。
「綺麗な色ね」
明るい麦穂色の髪にくすんだ緑の瞳の少女の細い指が、ゆるりと彼女を撫ぜた。はっきりと彼女がモノを見たのはこの時が初めてだった。
「ダメだよ、我が家の大切な宝なんだから」と、少年の声。
一歩離れて自分を見つめる少女の視線が、自分の行動を止めた少年を愛おしそうに追いかけるのを彼女は見ていた。

彼女は時々少女を見つけた。髪が長くなっては、他の大人の背と変わらない大きさになったが、それでも彼女は少女を見つけることが出来た。
誰かの陰に隠れて恐る恐る彼女を見上げている時は、主人のマントの留め金として使われている時だった。でも少女の視線はすぐに動き、別の方向を見つめるのだ。彼女はその方向に少年がいることにも気がつくようになった。

ある時、彼女は赤い温かい水に包まれた。少年の大粒の涙がその赤い水を落としてくれた。
「おめでとう」
花束が差し出され、娘になった少女が淋しそうに微笑んでいた。
周りの雰囲気から、ああ、これって結婚式というのだったわね。私の晴れ舞台だわ――と、彼女は誇らしく思ったけれど、遠くで涙する娘の姿を見つめ続けていた。
「今後争いをしないという約束で彼女は隣の主長の嫁になるんだよ」
ある朝、黒海の深い水を眺めながら青年になった少年が言った。彼女は静かにそれを聞いていた。
「一族を守らないといけないんだ」
青年は彼女を宥めるかのように、肩のブローチを撫ぜた。
「彼女のお蔭でひとつ争いが減った…。でもね、僕が死んだら、お前は僕の気持ちをいとこ殿に伝えてくれるかい」
彼女は青年が握った太い指の間から、遠く去っていく馬の列を見つけていた。

・・・約束しておくれ」
喧噪の中で青年の声がスパークした。多くの命の消えゆく叫びと共に、銀色の衝撃で彼女はバラバラになった。
「この石は捨ててしまうのかしら」
明かりが灯ったようだった。彼女は目を覚まし、娘の手の平の中にいた。
「もうブローチの飾りにはならないな」と誰かの声。
「じゃあ、私がもらってもいいかしら、いとこ殿の形見として。指輪にして大切にするわ」
手のひらが開かれると、娘は少し歳をとっていた。真っ赤になった瞳はそれでもどこか穏やかだった。
小さく削られ磨かれ、金の枠に嵌められて、彼女は指輪になった。
そして娘の左薬指を飾ったのだ。その一生を、そして死んでからも。

「これ、あの時の指輪だわ」
空が見えなかった。前とは違う場所にいるらしい、と彼女は思ったけれど、その声は紛れもなくあの時の少女の声だった。
「あ、本当だ。こっちの龍みたいな装飾品覚えているよ」という声は、あの少年のものだ。ふたりとも声も雰囲気もすいぶん変わっていたが、寄り添って立っていた。
「また、この指輪を見れるとは思ってなかったなぁ」
そう言いながら“少女”は自分の左手を、彼女と並べてみた。とても幸せそうに微笑みながら。
「んー。個人所蔵って書いてあるから、誰かが買ったんだね」
「あのビル、いまはないもんね」
“少女”は自分の手にはまっている指輪を撫ぜた。彼女はそれを見て残念だと思った。
「んー、ほぼ同じ色だね。我ながら自分を褒めてあげたいね」
“少年”はじっくりと彼女を見つめながら“少女”に聞いた。
「ねえ、なんでこの指輪を作ろうって思ったの?」
「え。え。え。」
「なんで言い澱むのよ」
「わ、笑うなよ。この指輪見た時、・・・って言いなさいって。言われた気が」
「はあ?」
「ああ、だからそれ渡した時に言った言葉ね」
“少女”は真っ赤になって黙った。
「じゃあ、私も告白」もう一度左手を彼女と並べた。「あの頃この指輪を観るとね。いつも“幸せだったわ”って声が聴こえるような気がしたの。だからこのデザインの指輪をあなたにもらった時、本当にうれしかった。あれがこの指輪の持ち主の気持ちなら、私もそう思える一生になるといいなって思ってたから」
二人はお互いを見ると、笑い合った。

「約束しておくれ、僕が死んだら“愛していた”と伝えておくれ」
「おかえりなさい、愛しい人。私たちはまた出会えるわ」
「貴方に・貴女に、出会えて幸せだった」

彼女は自分に刻まれた遠く懐かしい声を聴いていた。それから声ない声を二人にかけた。その場を去ろうとしていた二人は同時に振り返ったが、微笑み合い手をつなぐと美術館を後にした。

次の日、指輪の瑪瑙の石が割れて発見されたが、誰も驚くことはなかった。


「ふたりとも、再び出会えてよかったわ。私の仕事は、終ったわね」


2017/8/19記
あとがき
瑪瑙の指輪の物語の発想はずいぶん前のことになる。ダゲスタンの金製品を観た後だから25年ほど昔だろう。現在過去未来で考えていたのだけど、久々に歩いた渋谷の風景のせいか映像が降ってきたのでそのまま書いた。指輪を主人公に書くのも、舞台を渋谷にしようというのは最初から決めていたこと。
指輪が見えている風景だけを切りだしたので、説明不足な部分が沢山あるけれど、これはこれでいいか、と。
文章が目覚めから始まるのは、釈超空(折口信夫)『死者の書』の影響である。『死者の書』を教えてくださった教授は昨年亡くなった。たぶんこれからも目覚めから始まる話を書き続けると思う。

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備忘録、ダンサーSergei Polunin

舞台鑑賞が好きなのは一番上の姉の影響が一番大きいけど、父母も歌舞伎は幕見で見るものだ派だったので、たぶんそういうの好きな家だったと思う。
姉がモダンバレエを始めたのは高校生の時だから、小学生の中学年くらいからバレエを鑑賞にするようになった。なかなか舞台は観に行けないけど、NHKが流してくれるローザンヌコンクールとか毎年観てたりする。
で、この映画の宣伝が流れてきた時「ああ、見たいな」と思って。
邦題は『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』
原題は『DANCER』2016年、イギリス/アメリカ、85分、監督:スティーブン・カンター
ざっくり書くと、あるクラシックバレエダンサーのドキュメンタリー映画。

1989年、ウクライナの黒海に近い町ヘルソンの生まれ。近隣の知っている街というとオデッサかな。(ウクライナといえばキエフ。山岸涼子さんのバレエ漫画『アラベスク』の主人公の街!)
バレエダンサー、特にクラシックバレエのダンサーになるのって、才能のある子たちばかりなのだけど、普通の家庭に生まれたから、家族は彼の才能のために、彼の時間も、家族の時間も注ぎこむ。
そういう人って沢山いるけれど、ポルーニンは悪い方向に向かってしまった。
ロンドンのロイヤルバレエ団で19歳で最年少でプリンシパルになった彼は、喪失感をぬぐえずロイヤルバレエを退団。モスクワで尊敬できる師に出会うものの、それでも先が見えず、とうとうダンサーから引退しようと決めてしまう。
引退の最後にと、ロイヤルバレエ学校時代の友人に振付をお願いし、アイルランドのミュージシャン、ホージアの「Take Me to Church」を音楽に、デヴィッド・ラシャペルの撮影の作品がYoutubeで人気になったらしい。



これを見た人に勇気をもらって、ポルーニンは今もダンサーを続けている。

良かったなぁと思う。
吸収力のある人にとって、ひとつの世界にがんじがらめになるのは勿体ないことだと思う。
一段階、その世界を拡げることのできる才能がある人がこの世にたまにいるから。できれば、彼にはそういう人になってほしいなぁ。様々な世界を見ることで、新たな魅力あるクラシックバレエを造りだしてほしい。バレエ鑑賞を楽しみにしている観客の一人として深くそう願う。

現在彼は、ダンサーを支援する「プロジェクト・ポルーニン」という会社を運営しているのだとか。さらに2本の映画に出演する予定らしい。いつか彼が率いるグループの舞台が日本に来ることを楽しみにしたいと思う。

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除染物のその後

郡山は東京電力福島第一発電所の事故による放射線汚染の被害に遭い除染をした地域です。
他の地域と異なり、削った表土、切った庭木などは庭の片隅に埋めるか、土管(?)の中に保管をしています。
いつか掘り出して一か所で管理するらしいのですが、それが一体いつになるのかは未だに分かりません。

実家では、隣の使っていないアパートの敷地に埋めたのですが、外壁の劣化が激しいこともあって、アパートの解体をすることになりました。
解体にあたって、埋めてあった除染物の移動が必要になり、市に申し込みをしました。

除染した時は、除染物が埋められた場所、3か所に目印が打ってありました。→2013.09.02の記事
アパートの北側に2か所、東側に1か所。土のため、目印が見つからなかったものの、役所の書類に残っている通り&こちらの記憶にある地面を掘り返しました。
しかし、アパートの北側には埋められていなかったのです。
結局、東側にのみ埋められていました。
(2013年の写真に「隠ぺいみたい」って書いたけど、マジだったね)

除染後、アパートが使われてないのを知った除染業者の人がアパートに入り込み、中をメチャメチャにしたり、お弁当のゴミがそのままになっていたり、ということがありました。
警察に相談し、アパート側から自由に入れないようフェンスを建てました。
防犯カメラに、若い男の子もばっちり映っています。
庭で出会った男性は「オー建設です」って応えているし(庭を除染をした建設業社名)

除染業社に問題が多いと良く聞きますが、本当にダメなんだなぁというのを実感しました。
ちなみに、その建設業社は10指に入る有名大企業です。

放射線物質除去という名目は、教育を受けていない、身元の分からない人を雇う、理由にはなりません。
アルバイトにしろ、下請けにしろ、その企業の名前を名乗らせる限り、社員を教育し指導するのは、その企業の責任です。
市がその会社に指導するのかどうかは知らないですが、こういうことが見つかる度にペナルティーを科すべきでしょう。

うちの実家だけではないと思うよ、コレ。

写真は新たに敷地端に埋められる除染物
IMG_4173.jpg

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要介護認定等基準時間とは?

2年に一度、要介護認定のために役所から調査の人がやってくる。
今日届いたその書面に書かれていたのは、介護度4。
これまで、ずっと介護度は5の認定。
まず、どうして4になったのか確認した。ケアマネージャーとも相談し、不服申し立てをする予定。(私が、ではなく姉が、ではあるが)

要介護認定について厚生労働省のHPを見ると、「要介護認定は、介護サービスの必要度(どれ位、介護のサービスを行う必要があるか)を判断するものです。従って、その方の病気の重さと要介護度の高さとが必ずしも一致しない場合があります。」とある。

要介護4とは、要介護認定等基準時間が90分以上110分未満又はこれに相当すると認められる状態
要介護5とは、要介護認定等基準時間が110分以上又はこれに相当すると認められる状態
とある。

いわゆる時間だというのだ。その要介護認定等基準時間の分類は、
 直接生活介助    入浴、排せつ、食事等の介護
 間接生活介助    洗濯、掃除等の家事援助等
 問題行動関連行為  徘徊に対する探索、不潔な行為に対する後始末等
 機能訓練関連行為  歩行訓練、日常生活訓練等の機能訓練
 医療関連行為    輸液の管理、じょくそうの処置等の診療の補助

身体的な傾向としては、
要介護4  要介護3の状態に加え、さらに動作能力が低下し、介護なしには日常生活を営むことが困難となる状態
要介護5  要介護4の状態よりさらに動作能力が低下しており、介護なしには日常生活を営むことがほぼ不可能な状態
とある。

母は著しく舌の機能が落ち、食事どころか水や自分の唾液さえも飲みこめない状態のためにあるため、経鼻経管を使って栄養を得ている。

役所の回答は、経鼻経管で食事に時間を取られないから、介護度4だというのである。しかし2年前も経鼻経管をしていた。
さらには、経鼻経管は調査日の前の2週間の間に換えてないと認定にならないと言うのだ。経鼻経管の取り換えは、1ヶ月に1度。看護婦さんが取り換えてくれる。管で内臓を傷つける可能性だってある。喉を通すときは間違って気道に行っていないか、気を遣う作業だと思う。短期間で換えたいようなものではない。母は認定調査の3週前に取り換え、1週間後に新しいものに取り換えている。毎日の食事代わりの栄養剤は医師の処方のものを与えている。
経鼻経管は医療行為で、家族と看護婦以外は栄養剤の流し込みができない。
そのためデイケアでも、看護師がいる時のみしか利用ができない。

介護の時間で考えるなら、骨折をしたことで、リハビリパンツと呼ばれる伸びる素材のオムツから、赤ちゃんに使うような前止めのオムツを利用するしかなくなった。リハビリパンツのシートを換えるのと。オムツを全部開いてシートを換えるのではかかる時間も大きい。さらに、痩せ細った母にとっては、オムツの形状が合わないために、毎度漏れるのだ。毎日のように、毎回のように。(リハビリパンツの方が伸縮しておさえてくれる分、漏れが少なかった)パジャマが漏れた排泄物で汚れる。洗濯の機会は3倍くらいになった。

昨年5月くらいに母は下痢が続き状態を大きく落とした。デイケアは熱が37度あると預かってはくれない。預けることは出来なかった。ようやく下痢が落ち着いた頃にお風呂に入れてあげたいと一日だけデイケアに出すようになった。デイケアに出すことが出来る日が減った。介護時間は増えた。

それなのに何故、である。

介護度を替えるということは、受けられてきた様々な支援の一部が受けられなくなるということだ。
もしも、少しでも母の状態が良くなったのなら、うれしい。それで介護度が下がるならどんなに嬉しいだろう。
でも、状況は全くの反対だ。
姉は24時間母の側を離れないけれど、他の方はそうではないだろう。そういう方は、これまでの支援を受けれず、どう生きていくのだろうか?
そこに隠れている「税金で生きている」「国民を苦しめている」「死ね」という日本国からのメッセージを感じずにはいられない。

母は話すことはできない。
母は痛いと訴えることもできない。
寝返りもできない。何度も褥瘡ができたので、エアーマットのベッドを使っている。
座った状態を続けることもできない。そのため、車いすも頭を固定できるヘッドマットのあるものを使っている。そのような状態だから、昨年末腕を骨折した。
舌の機能が落ちて、舌が喉(気道)を塞ぐ状態になる。体調の悪化は痰に繋がり、喉に絡まることも。ゆえに呼吸ができなくなることがある。舌の状態を時々確認する必要があるし、痰が絡まっている時は吸い上げることをしている。
脳の指令が止まるのか、自分で呼吸を止めてしまうこともある。
拘縮が毎日ある。特に夜中は2~3時間くらい続く。そういう状態の時はぜーぜーと苦しい音を立てている。姉は夜中、拘縮が収まるまで母をさすっている。

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6年が過ぎた

早いなぁ。6年。
多くの人がこの日を境に生きている。
私もその一人だ。

あの日から、非、日常を生きている。

通常に戻ることなく、
あれよあれよと、非、日常ばかりが起きた。
非、日常は蟻地獄みたいだ。

6年を振り返ってみて。
駆け足だったなぁ、と思う。
その実、全く前に進んでない。

一か所で全力疾走しているんだよなぁ。
2017.03.11

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