BIWA-YOU

『琵琶謡』とは、徒然を謡うこと。写真と、日々思うことを。      そして、できるならば詩や小説も書き綴りたいと思いつつ・・・。

難しきかな

「みんなに行き渡らないものは配布しない」
それが避難所のルールなんだそうだ。

例えば、お菓子が一箱あるからと、避難所に持っていったとする。
10人いるのに9個しかなかったら、配られないで保管されてしまう。(分けられないものと仮定してください)
9人いる避難所にそのお菓子が持っていかれたとしたら。
それは配られる。

うず高く積み重なっている段ボール箱の映像を不審に思った人もいるのではないかと思う。
理由は、そういうことなのだ。(だから、物資仕分け作業はとても重要になってくる)

ところで、このお菓子を持っていった人物の善意は?
この善意は残念ながら、「身勝手」ということになってしまう。
なんでって?
酷い言い方をすれば、ゴミを避難所に置いて行ったようなもの。
配れないものを押し付けていくことは迷惑でしかないのだ。

ボランティアも同様だという。
ニーズのないところにボランティアに行っても、何もすることはできない。
それどころか、その「身勝手」に相手を傷つける結果になりかねない。

その善意っていう「身勝手」に出会うと、人は怒るものです。
被災するってことは、辛いし悲しい。ただ、必死に我慢しているだけですから。
そこに「身勝手」を押し付けられたら、怒りますよね。

私は被災地に家族や友人を持つだけだけど、
それがどんなに迷惑で憎らしいものかを経験しています。

ある団体さんが、私が所属する合唱団のところへ来て、
「被災地福島のためにコンサートを開きます。チケットを買ってください」
とおっしゃられて、いらっしゃいました。
その方は、どうしてその会を開くことにしたか、という「想い」を話されていきました。
私たちに「福島ゆかりの方々なんですよね」とおっしゃりつつ、
ひとことも「ご家族、兄弟、ご親戚は大丈夫でしたか?」はありませんでした。
まだライフラインや物流に不安定で、それぞれの家族が大変な状態のころの話です。

彼にとって、地震被害地は津波被害地であり、
福島ゆかりの人は、家族が福島にはいない人なのでした。
被災家族を持つ私たちが義援金を集めるためのコンサートのチケットを買う?
どこに行くかわからないそんな義援金より、移動のための資金にした方がまだましです。

「自己満足」
彼から感じたのは、その一言に尽きます。
どんなにその「想い」が純粋であろうと、「身勝手」でしかありません。
本当に相手を考えてのことだったとしたら、私たちのところへ来たりはしなかったでしょう。

私たちの合唱団もボランティアの機会をいただき、活動してきました。
「自己満足」にならないように、「身勝手」にならないように。
責任者だったため、その点に心配らなければと思いました。
とはいえ、もともと「気遣い」って行動のできない私のこと、
被災担当している長姉にいろいろ聞きつつ、
そして、なんとなく「運」に助けられてしまったりもして、
最終的には、とても良い経験をさせていただきました。

ボランティアを終了した感想は、
「ちゃんとやれた?やれたよね?・・・ああ、よかった」という感じ。
なんか、どこかでそんな思いになっているような。

それって・・・もしかしなくても仕事?
ニーズに即したものを提供する。顧客に満足してもらう。
んーそうだったか。。。仕事も自己満足じゃあ、仕事にならないもんねー。

再び、巨大地震が来る可能性が高い日本。
多くの犠牲を払ったのだ。
これは対岸の火事ではない。次に被災するのは「身勝手」なアナタかもしれない。

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