BIWA-YOU

『琵琶謡』とは、徒然を謡うこと。写真と、日々思うことを。      そして、できるならば詩や小説も書き綴りたいと思いつつ・・・。

肩書きの呪縛

父は経済という場所で生きていた人でした。
積極的に市や県の経済発展、コミュニティの財政面などに関わってきました。
その団体や企業がどのくらいあるのか、どんな内容に携わったのか、私にはわかりません。
父の最初の仕事場は東京都庁でした。中小企業診断士という資格がありますが、その資格を持っていた父は、祖父の一声で地元に戻ってくるまでの間、そういった仕事をしていたようです。そこで、多くの企業の課題を解決する中で自信を持っていったようだと(誰かに、誰に??)聞いたことがあります。
そして、一生、世の中の経済的な課題を解決し続けたのです。
父はそういう点でとても自分に自信を持っていました。
それだけの経験を持っていたことは確かです。
経済人としての父を否定しようとは思いません。
父がやっていたようなことが私にできるわけでもありませんし、尊敬する活動でした。
歳をとる中で父は、自分のことは誰でも知っている、俺はエライ、といった言葉を口にするようになりました。
家族が一緒にいる時も言うので、とても感じ悪いことこの上ありませんでした。
日本という国の経済圏が広がり、人口が増え、父が活躍できる範囲はだんだんに小さくなっていったのだと思います。小さな町のままであれば、父が言うように、父は誰にでも知られる存在のまま歳をとっていったかもしれません。
でも、世界は広がり続けていました。小さな町の経済人たちのコミュニケーションなど、たかがしれたものです。父の存在は井の中の蛙に過ぎないのです。
目に余る(耳に余る)その言動に、私は「○○の誰々」ではなく、「誰々」に戻るように、と父に言うようになりました。
そうしている内に、父の小学校から仲良くしていた友人たちが次々に亡くなりました。
母の認知症は悪化してゆき、会話ができなくなりました。
母のためにと、徐々にさまざまな団体に関わるのを辞めていった父でしたが、それは、「○○の誰々」であることにこだわる結果となっていったように思います。
この1、2年、私は「○○の誰々」ではなく、私たちのお父さんである「誰々」に戻るようにと言いました。そして、新しい友人をつくりなよ、と言いました。
父が首を縦に振ることはありませんでした。

肩書きが、私たち家族から父を奪っていきました。
他人に褒めてもらえる父親より、私たち家族が褒めてあげられる父親でいてほしかった。

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